もしも望んでいないのに、いま住んでいる所からむりやり引っ越しさせられたり、追し出されたりしたら、それは「強制立ち退き」とよばれる行為です。安心して住み続けられる保証がなければ、住んでいる人は不安でしようがありません。

 国連の人権規約委員会の見解では、どんな場所であっても、そこに住み続けていいのだという、一定の法的保護がされるべきだとしています。もし政府や行政が、補償もせずに人々を追い立て、納得できるような代わりの住居も保障しないということがあれば、それは国際規約に反するとんでもない話です。

 国連人権委員会は1993年(平成5年)、満場一致で、強制立ち退きが人権侵害であることを再確認しました。日本も入っています。この時の「強制立ち退きに関する決議」には「政府には強制立ち退きを防ぐ責任がある」ということが書かれています。

 日本の国内で、ほかに行く所もないのに、いま住んでいる所から「出て行け」と言われたら、そしてそういう事態を行政が放っていたなら、それは国際的な約束違反ですし、私たちの「居住の権利」の侵害なのです。

 居住の主人公は、そこに住む人。これは「居住の権利」の鉄則です、住民の希望や意見を無視した都市計画は、居住の権利からみるとあってはならないことです。

 被災地の復興計画の主人公は、そこに住んでいた被災住民です。まちづくりは「お上に決めていただいて従うもの」ではありません。

 自分の住む所は自分で決める、自分たちの街は住民たちがつくる、行政の役割はその支援であるべきなのです。

 よく「公共のため」「地元経済の発展のため」ということが言われますが、その「公共」にどれだけ地元住民が含まれているのか、経済発展が本当に地元住民に恩恵をもたらすのか、よく確認しましょう。ほとんど一方的に地元住民が我慢させられて、実はだれかがおいしい思いをしているのなら、それは「公共」とは言えないのではないでしょうか。

 社会はみんなでつくるもの、そしてみんなとは、私たち、そこに住む一人ひとりのことなのです。
 
 法律の解釈という点から見ると、「公共の福祉」と「基本的人権」とのかね合いは、いろいろと意見の別れるところです。しかし、少なくとも「公共の福祉」が完全に「基本的人権」に優先するということはありえません。
 むしろ、世界的に人権に対する意識が高まってきた最近では、人権の尊重の方が上だという考え方が強くなっていると言えます。


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