福島を訪問しました
7月17日〜19日、神戸YWCAの有志5人が福島を訪ねました。福島YWCAのみなさまのご協力により貴重な経験と出会いを頂きました。
7月17日(日)午後
あづま総合体育館へ。理科実験工作教室を開きました。参加してくれた小2の男の子はお母さんと浪江町から避難していらっしゃいました。放射能を逃れ家族は離ればなれに、落ち着き先の見当もつかない生活が続いています。被曝の検査や補償についていつ通知が来るかわからず、県外に避難したくてもできない、と話されました。
夜
福島YのWさん、Hさんと夕食をご一緒しました。
7月18日(月)午前
新地町災害ボランティアセンターで、4人は家屋片付けのボランティアに参加しました。Tさんは受付のボランティア。海辺の一帯はほとんどが家屋の基礎だけを残していました。片付けをした家屋は一階の床が陥没し、2階の外壁には津波で流れてきたものが衝突した跡があちこちにありました。家周りの土を少し掘ると、ガラスや食器、おもちゃや記念硬貨など、いろいろなものが出てきました。この家の方のものではないものも流されてきて埋もれています。泥が渇いて砂になり、掃くと細かい砂が舞い上がります。30分おきに休憩を取りながら、2時間ほど作業をしました。
午後
近所のトンカツ屋さんで昼食を取った後、ボランティアセンターのセンター長やコーディネーターの方たちから、現在の状況と今後の課題についてお話を伺いました。
帰りは火力発電所のある相馬港の方を回りました。入り江の海の中には車や家屋が取り残されていて、海沿いの町は人気がほとんどありませんでした。
夜
福島YのHさん、福島市内で果樹園をされている「福島・未来塾すばる」のOさんと夕食を共にし、放射能除染の方法や実態について、また、子どもたちを放射能から守るため地元の方々が取り組んでおられる活動についてお話を伺いました。学校で除染がなかなか進んでいないこと、自主避難の難しさなど、福島市に住む皆さんが今直面している問題は、急を要するものだと実感しました。
(*先だって世界YWCA総会に福島の声を届けるため、神戸YWCAのSさんがOさんや他のお母さんがたに取材し「Voices from Fukushima」というニュースレターを作りました。)
7月19日(火)午前
前夜お会いしたOさんの果樹園を訪ねました。ガイガー計測では3.0μsv/hを記録(その後数値がさがりました)。「放射能除染・回復プロジェクト」にとりくんでおられる京都精華大学のY教授が除染の実験に来られるとのことでしたが、時間の関係でお会いできず残念でした。福島県は果樹をあきらめて花卉栽培への転換を勧めているそうですが、長い年月をかけて立派に育ったリンゴやナシの畑を見ると、何とか放射能を除染しもう一度果物を育てる道はないのか、と憤りを感じます。
その後、仙台への転居を決めたTさんを自宅に訪ねました。高い線量のホットスポットが点在する福島市で、行政による学校や通学路の除染がなかなか進まないことへの不信・不安を話してくださいました。
お別れの前に、福島YWCAの5人の会員の方と昼食をご一緒しました。
新幹線の時間まで、駅前のコラッセふくしまで行われた、「避難の権利」の確立を求める対政府交渉(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク他主催)、を傍聴しました。
福島でお世話になった皆さま、ありがとうございました。