『意地悪な街』写真展
「え?これが何で意地悪?」
そう思ったら、ちょっとだけ、考えてみて下さい。
もし明日、仕事が無くなったら、あなたはどうしますか?
もし明日、住むところがなくなったら、あなたはどうしますか?
行くところもなくなったあなたが街に出ると、こんな光景に出会うはずです。
歩道橋の下は、都会では珍しく雨露をしのぐ事のできる空間です。けれども、そこには『入れてやらない』とばかりに金網が張ってあることが多いのです。何もない空間を金網で囲い、南京錠ががっちりかけてあるのを見ると切ないものがあります。
公園のベンチに、横になれないように仕切りをつけてあるのを良く見かけます。このごろは、長さを極端に短くしたベンチもあります。
行き場のない人がたむろできないように、プランターを並べています。植物を鑑賞するためではないので、手入れされず、枯れていくことが多いのです。地下街などでも、造花を並べてあったりします。
屋根がなければ、雨露をしのぐのは大変です。横断歩道橋の階段の下は、雨宿りに都合がいいのです。
そこに入れないような金網にどんな意味があるのでしょうか?
雨宿りといえば、橋の下も上からの雨を避けられる場所です。そこに横になることも許さない仕掛け。
『意地悪な街』ひとりごと
僕の写真には人が写っていません。
人が写っているほうがリアルだと思う人もあるでしょうが、写らないのです。
なぜならここに写したモノは、人を拒んでいるからです。
本当はモノが拒んでいるのではなく、これを作った人が拒ませているのです。
大きな都会では、注意深ければ、市役所や病院の待合室、図書館、大きなデパートのベンチなどでまどろんでいる人を見かけることができます。
壁には「ここで寝てはいけません」といった掲示があるかもしれません。
そんな人達は邪魔だし、不愉快だと思う人もいるでしょう。
でも、なぜこのような場所で人に嫌がられながら寝なければならないか考える人はあまりいません。
僕は時々思うのですが、小石だって存在するためにはいくらかの空間が必要なのです。
人間にも、いくらかの居場所が必要なのです。
安心して、あるいは、冬には凍えないで休める場所がなければ人は生きられないのではないでしょうか?
道端やベンチで寝ている人達だって、すき好んでそこに居たいわけではないのです。
他に場所がないから、そこにいるだけです。
そんな人達の“最後の居場所”を、今の都会は無くそう、無くそうとしているように思えます。
ベンチには、横になれないようにちょっと気取った仕切りをつけています。
かろうじて雨を凌げるような歩道橋の階段下の空間は、金網で入れないように囲われています。
歩道橋の下で見つけた、カラフルな半球形の突起の声がきこえませんか?
こんな声が僕にはきこえるのです。
「ここには場所はあるけれど、おまえ達には使わせてやらないよ」
ただ通り過ぎる人には聞こえないのかも知れませんが・・・