福島YWCAからのメッセージ
神戸YWCAは3月19日に「被災者支援センター(仮称)」立ち上げ後、日本YWCAと共に物資支援、避難者受け入れ、被災地における活動の側面支援などに取り組んできました。
その一方で、放射能被災と闘う福島の方々に、私たちがいかに寄り添うことができるのか模索が続いています。
今回、福島市内に拠点をおく福島YWCA会長渡辺園子さんから「神戸YWCA機関紙」6・7月号にご寄稿いただきました。福島の声は、私たちに向けられた声です。課題の大きさに圧倒されますが、私たちは同伴者であり続けたいと思います。皆さま、ぜひお祈りください。 西本 玲子(職員)
今、福島では
福島YWCA会長 渡辺 園子
神戸YWCAの皆様、この度の東日本大震災に際し、多大なお見舞いや励ましを賜りましたことを福島YWCA会員一同心より感謝申し上げます。遠く離れた地から心を寄せてくださる方々の存在に、どれほど勇気づけられたことでしょうか。ありがとうございました。
福島県は広く、会津、中通り、そして浜通りと三つの地域に分かれ、今回の震災では太平洋側の浜通りは地震と津波、中通りでは地震による大きな被害を受けました。これで終わりかと思っていたところ、津波により浜通りにある東京電力福島第一原子力発電所の電源が切れ、「冷やす」「閉じこめる」等の原発の機能が全くコントロールできなくなり、さらに水素爆発したとのニュースが流れました。初め原発から半径3km以内に出された避難命令は1km、20kmそして30kmの屋内退避と日を追うごとに広がっていきました。隣家の奥さんが「雨には濡れないように」と声をかけ廻り、携帯には「窓を閉め、空調、換気扇を切り、外出しないように」との孫からのメール。17日には米国・韓国が80km圏内に住む自国民を避難させるというニュース。Y会員の多くは60kmから65kmくらいの所に住んでいます。絶えず大きな余震が襲い、毎日が放射能汚染を気にかけての生活が始まりました。
震災から約2カ月が経ちました。大袈裟に聞こえるかも知れませんが、福島市民はこの瞬間も被ばくし続けています。現在、環境放射線は毎時1.62マイクロシーベルト(平常値0.04、以下μSv/h)。その値を1年間積算したら…と思うと背筋が凍ります。放射能は同心円ではなく、気流・風向・地形によって拡散して、中通りへと向かっていたのです。
4月中旬、福島県内の小・中学校等で放射線量を調査しました。その結果、75.9%の学校で0.6〜2.2μSv/hの「放射線管理区域」(*1)の基準を超えていました。さらに、全体の20.4%の学校で2.3μSv/h以上の「個別被ばく管理」(*1)が必要となり得る高い値の放射線が測定されました。それにもかかわらず、文科省の指導は学校等の安全基準を3.8μSv/h(年間積算20mSv)とし、この基準に従い福島県内では13の学校等(内、福島市内10)で校庭及び屋外での活動の制限がなされました。この政府の、被ばく限度基準20mSvは「とても許すことができない」として東大大学院教授小佐古内閣官房参与が辞表を提出されたことは皆さま周知のとおりです。
少子化問題、少子化対策と言いながら次世代を担う子どもたちの生命を政府はどう考えているのでしょうか。子どもを県外に転校させた家族、集団での学童疎開を訴える親、せめてもと校庭の土の表面を削り取る「除染」を行う親たちもいます。乳幼児や妊娠中の女性への放射線の影響も気がかりです。
「生命を選ぶ」、YWCAの25年前のこの主題が再び私たちに与えられたような気がしてなりません。
原発の終息を願いながら。
*1 放射線の不必要な被ばくを防ぐため、不必要な立ち入りを防止するために設けられた区域
*2 管理区域内で放射線業務従事者が被ばく量の許容値を超えないようにするため、一人ひとりが個別に被ばく線量を計り管理すること