「上筒井から」Vol.9(Mar. 2001)

神戸YWCAの移転に寄せて


 私が神戸YWCAを知ったのは、震災の年の春、私がフルートの出張レッスンに行っている大阪北部の学校で、カンパを募るためのコンサートをしたのがきっかけでした。

 これは「なにかできることがあったら」と言ってくれた女性教諭にお願いして、学校関係の音楽家の協力で実現した企画でした。そのときの収益金の送り先が、神戸YWCA救援センター(現震災復興委員会の前身)だったのです。

 すでに幹線道路や新幹線が復旧し、メディアも明るい話題を中心に追いかけている時期でした。コンサートの終わりの挨拶の中で、私は避難所には将来のあてのない被災者がたくさんいる、苦しんでいる人がたくさんいる、忘れないでほしいと訴えたことを覚えています。あれだけの大災害からまだ3ヶ月も経っていないのに、すでに震災は「過去のできごと」に、メドのない被災者は「甘えている非自立者」にと位置づけられ始めていました。それ以来、毎年のように「被災者の状況は今からが大変」と言い続け、気がつけば今年はもう7年目。

 自分自身の家や生活の再建の一方で、私が震災関連の諸活動から足を抜けないまま来た最大の理由は、安心して暮らせない社会の有り様への大きな疑問だったでしょう。

 誰の足下にもある落とし穴、何もなければ落ちることもなく安穏と暮らせるように見えて、実は私たちの生活はいつも薄氷一枚分ほどしかない基盤の上にあるのだということを、地震によって悟らざるをえなかったのです。

 その私の活動拠点の一つが、神戸Yです。トルコでの人間居住会議への参加や地元の支援の数々など、一昨年、正式に震災復興委員会に参加してからは、特にお世話になっています。いつも感じ入るのは、メンバーの筋の通った、しかし気負わない活動姿勢です。一種厚かましいほどのしたたかさとしなやかさを持ち合わせていると言ったら、失礼でしょうか。

 今回の移転の話には驚きましたし、今の建物を離れるのは残念ですが、「こういうこともあるだろう」程度に受け止めているのも事実です。引っ越し自体は大変な作業ですが、今までの流れは引き続き全く変わることなく続いていくでしょう。私も今までと変わらず、復興委員会がある限りお付き合いさせていただくつもりですし、皆さまからも変わることなくご支援いただければと思います。よろしくお願いいたします。          

(玲)


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