「上筒井から」Vol.9(Mar. 2001)

「ボランティア」ってどういうこと?


 震災から6度目の冬が訪れました。ボランティアとして神戸YWCAに関わり始めた95年の1月17日から神戸の町並みもすっかり変わってしまいました。三ノ宮のセンター街を歩くと多くの死者を出したあの忌まわしい大震災があった事など感じさせないくらい活気に溢れています。今では私の記憶から以前の神戸の姿がなかなか思い出されません。今回はもう一度この6年間をボランティアとしての切り口から振り返ってみたいと思います。

 1995年1月17日我が家は全壊に見舞われ神戸YWCA(以下YW)に避難すると共に私のボランティア活動が始まりました。当時YWには留学生と同じく被災したスタッフ数人しかいなく、辛うじて停電は免れたものの水道、ガス等は全く使えず、外は雪が降り昼夜問わず厳しい寒さでした。3日、4日と日が経つにつれ全国のYWからスタッフが水や救援物資をもって駆け付けてくれました。私の記憶では本格的に救援活動が始まったのは震災から1週間程度後の事だった様な気がします。あまりの被害の大きさに地元住民が町の様子を把握するのは難しく、TV等で様子を見た神戸以外の人達から情報をもらうことの方が多かった。しだいに全国各地から学生を中心としたボランティアが集まり、救援物資の調達からリサーチ活動まで多くの活動がボランティア自身の手で自発的に運営されていきました。初めの数ヶ月間は全国から集められた物資を必要な人に必要なものを届ける事が中心で、日に50〜60名のボランティアが被災地を走り回りました。また、お医者さんや看護婦さんによる医療グループによるリサーチ活動が始まったのもこの頃です。朝のミーティングでは一日の担当リーダー選出と活動の振り分けとそれぞれの活動のグループミーティングやオリエンテーションが行われ、活動が終わると報告と引継ぎなど次の日の打ち合わせが夜遅くまで続きました。そのような状況の中、いつしか先輩ボランティアが新しいボランティアを育てるといった流れが生まれました。ボランティアの役割はもちろん救援活動なのですが、古いボランティアが新しく来たボランティアを育てる役割も担っていました。活動の多くはボランティア自身が主体になってアクションを起こしてきました。被災した方々の事を真剣に思えばこその行動だった気がします。だからこそ活動の必要性をそれぞれが自分の体全体で感じとり、自ら必要だと思う事を考え、判断し、実践するといった事が自然と現れてきたと思います。また、単に被災者を支援するとか助けるといったことではなく、ボランティアが“必要にかられた状況”“当事者主体に成らざるを得ない状況”に置かれたからではないでしょうか。それ程、震災が与えたインパクトが大きかったのでしょう。助けが必要な人々と助けようとする人の思いが一致したから出来たのかもしれません。(もちろん全てではありませんが)

 1年また1年と時が経つにつれ、ボランティアにとってこの“必要にかられる状況”が少なくなり、それに伴いボランティアの数も徐々に少なくなってきました。一つには複雑な問題や個々の問題が増えてきた事に一ボランティアではなかなか対応しきれなくなってきました。当事者にとっての“解決すべき問題”に対してボランティアの“必要にかられる状況”の衰退から思いが一致しなくなってきたと考えます。また、震災当時は皆がボランティア活動に多くの時間を費やしてきました。しかし、今はそれぞれが活動に関われる時間が限られてきたことも大きな要因でしょう。こうして少しずつ当事者とボランティアとの距離が広がっていき、“問題は何処にあり、何であるのか”“私達には何が出来るのか”といった事を考えなければならなくなってきました。みんな同じような課題を抱えている気がします。もう一度、じっくり私達自身がボランティアについて整理し、考えていく必要がありそうです。同様に当事者自身も自分たちの問題を整理しきれていない事もあるような気がします。当事者自身が自分たちの問題を整理し、次のステップを踏める事を支援するのも私達の重要な役割かもしれません。それには当事者に可能な限り耳を傾け整理することが”当事者主体の活動”を目指せる1歩だと思います。やはり当事者の声の中にこそ「ボランティア」ってどういうこと?の答えがあるような気がします。

(理)


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