「上筒井から」Vol.7(Sep. 2000)

神戸から

公的支援を求める運動から - 神戸市長リコール運動 - 家のない人に対する神戸市の施策 (3)


神戸空港問題の『今』

 公的支援を求める運動から  私が被災者市民運動を始めたのが、あの大震災から2年経った平成9年11月新聞での呼びかけがきっかけでした。足を痛め、その上勤めていた会社も閉鎖、収入の途も断たれ生活のめどもたたず、少しばかりの貯えも底をつき、義援金たのみの日々の生活は不安でいっぱいでした。

 視察に来た大臣は良い事だけ言いたい放題言って帰ったまま、一向に見えて来ない政府の支援、黙っていては誰も救ってはくれない、被災者がここで声を大にして訴えなければと、雨の中痛む足を引きずってデモに参加、こんな思いをしてまで訴えなければならない日本の国のことを思うと悲しくて涙が出て仕方ありませんでした。

 そして私は自分の生活立て直しのため、働くことになりましたが、その間に市民議員立法が成立、自立支援金が付帯決議に於いて支給される事となったのは、周知のことですが、「すべての被災者に公的支援を」といった理念からは程遠く、被災者が立ち直れるどころか、多くの自殺者を出し、そしてだんだんと生活が苦しくなって来ると訴える老齢者、零細企業者、中小企業者の声を耳にする度、あの雨の中のデモ行進のくやしさがバネとなって、又再び被災者運動を続けて行く事となったのです。

 何回となく国会にも行き、又国会議員にも訴えてきた私たちの声は一向に取り上げてもらう事もなく、今日に至ってますが、また再び被災者生活再建支援法付帯決議に於いて5年後の見直しについての前倒し、(早期見直し)と拡充を求める会を結成、政府への訴えを続けていく覚悟です。もう震災は終わったと言っている行政にも色々な角度から訴えて行き、阪神・淡路大震災の被災者に笑顔が戻ってくる様願っています。

 最後に被災した国民がこの様な運動を起こさなくてもいい国になりますよう、切に願ってやみません。

(愛)


神戸市長リコール運動

 神戸空港の建設中止を求め、1カ月にわたって実施された市長リコール署名運動が5月21日に終了した。署名数87655。有権者の1/3、39万が必要数、残念ながらリコールは不成立に終わった。

 98年、空港建設の是非を問う住民投票条例を、35万の署名を以て直接請求したが、議会で否決された。99年夏の自主管理市民投票では、約21万の市内有権者表のほとんどが建設反対であった。しかし、99年9月、建設工事は着工された。だから今回のリコール運動は建設中止に向けた言わば最後の手段であった。

 「沈黙は承認のしるし」と署名を呼びかけたこの運動が、大きなうねりにならなかったのは、市民の側にある「あきらめ」が大きかった。すでに空港は工事中であるという既成事実は、人々に無力感を与えるに十分な条件となった。

 憲法や地方自治法に明確に規定された市民の権利の行使に、多くの人々の同意を得ることができず、神戸市政に民意を反映させる機会がまた遠のいたことが、リコール運動に参加したものとしては、自分たちの力不足を反省しながらも無念である。

 95年の大震災のとき、余震に怯えながらこれで無意味な市営空港はなくなったと妙にほっとした記憶がある。ところが笹山市長の空港計画推進発言である。一体何を考えているのかと強い怒りを覚え、今日に至っている。

 30年ほど前の関西国際空港神戸沖設置反対運動で、神戸YWCAは事務局を受け持ち、結果として今の『関空』になった。泉州の方々のお気持ちを考えると複雑ではあるが。この時の市議会は「住民の理解と納得を得られない」と計画の即時撤回を求める決議をしている。3年後の75年には『非核神戸方式』の決議がある。議会が正常に働いていたといえるのではないか。何時の間にか変質してしまった市政を、住民本位のものにするためには、我々住民にも「不断の努力」が要求されるのではないか。

 リコールは成立しなかったけれど、何らかの方法で空港反対は続けるし、民主的な市政を求めて行くこともやめない。ここ何年か市民運動に参加して志を同じくする多くの人に出会えた。若い方も多いことに希望を持つ。

(影)


家のない人に対する神戸市の施策 (3)

 夜回りで出会った人が入院した事がきっかけで、病院訪問をはじめました。

 病院訪問の目的の1つは、回復するまで治療を続ける様に励ましたいと言う事です。野宿していて生活保護で入院している人から「看護婦や医者(あるいは他の患者)に馬鹿にされた」、と言う訴えをしばしば聞くからです。体調の悪い間は我慢するが、回復してくると、耐えられなくなり、喧嘩して追い出されたり、自分で病院から出て、野宿に戻ってしまう人もいます。そして再び悪化させて入院すると言った事も少なくありません。「ちゃんと治るまで治療しようよ」と、お見舞しています。

 もう1つの目的は、退院後の事です。これまでも書いてきた様に、神戸市の福祉事務所は「住所不定者」の生活保護の申請を受理しません。神戸の野宿者支援グループは野宿して生活に困窮している人が生活保護を受けたいと希望した時、ドヤやアパートを借りて、そこを住所にして、保護の申請をします。つまり「住所はある:住所不定者ではない」と言う形にして保護申請をするわけですから、野宿者が直接保護を受けてはいないのです。

 例外が、入院している場合です。さすがに重病人を路上に放置して、公園や路上で死なせてはまずいからでしょうか、入院が必要となると、生活保護法が適用されます。その場合、医療は現物支給され、一ヶ月に約2万4千円が日用品費として支給されます。最近はテレビを見るのも、洗濯機を使うのも、風呂に入るのも有料という病院が殆どですから、楽ではありません。

 問題なのは、殆どのケースワーカー(CW)が「入院中だけ保護すれば良い」と思込んでいることです。患者に「あなたは退院と同時に保護を打ちきります」といいます。

 退院したら打ちきられると悩んでいる山田(仮)さんの相談を受けて、福祉事務所に山田さんと同行し、CWに質問しました。「生活保護を廃止するには3つの条件(@自立できた時Aケースワーカーの指導に従わない時B検診命令に従わない時。)がある、どれに相当するのか?」と尋ねました。

 Y 「山田さんは自立できた?」
 CW「いいえ」
 Y 「指導にそむいた?」
 CW「いいえ」
 Y 「検診命令にそむいた?」
 CW「いいえ」。
 Y 「では、どう言う根拠で廃止するの?」
 CW「???。それでは、住所を確保すれば保護を継続します。家賃は出しますが、 敷金等一切出しません。」

 厚生省が監修した『生活保護手帳』は、敷金を出しても良い場合を列記している最初に「入院患者が実施機関の指導に基づいて退院するに際し帰住する住居がない場合」とあります。それなのに、「勝手に住むところを確保したら、家賃は出してやる。」というのが現状でした。やむを得ず、不動産屋に「少し家賃が高くなっても良いから敷金なしにしてくれる部屋を探して。」と頼み、そこを住所に退院後の保護を継続してきました。その場合でも、不動産屋に家賃1ヶ月分の仲介手数料を支払わなければなりません。その工面も大変なのです。日用品費を溜めるか、借りて保護費から返していくかしかありません。また、契約書をきちんと作るには、家賃、不動産屋の仲介手数料、保証人、住民票などが必要です。クリアーするのは簡単ではありません。 以前は仲介手数料は『出ない』とあきらめていましたが、今年になって、「仲介手数料を出してくれ」と書面で正規に申請しました。それでも、福祉事務所は「出さない」ので、兵庫県知事宛てに審査請求をしました。 「出せるはずのものを出さない福祉事務所のやり方は納得できない」と訴えたわけです。福祉事務所は県に「弁明書」を出し、こちらも「反論書」を書き、「口頭陳述」でも訴えました。県が裁決を下す前に、福祉事務所は「福祉事務所としては、支給対象外と判断していたが、再検討に時間がかかり決定が遅れたもの」という理由で保護を変更し、仲介手数料は支給されることになりました。審査請求した後、退院する人には仲介手数料が出るようになりました。少しですが、退院後の住居確保がしやすくなったのではないかと思います。

(野)

  夜回り準備会


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