「上筒井から」Vol.6(March 2000)

震災復興委員会活動報告

わいわいランチ(給食サービス) - 昼回り - 仮設居住者実態調査の会


わいわいランチ(給食サービス)

 YでもCでもない私が、YWCAの給食サービスにかかわるようになって6カ月たちました。目的も歴史もよくわからないながら、毎週楽しく過ごしています。ボランティアに行って目的がわからないなんて!楽しく過ごすなんて!と思われる方があるかもしれません。

 目的に関して言えば、「お弁当を詰めて、届ける。」というささやかな行為が、・どんなものを?・誰に?・いつ?・どういう風に?と考えた時、人数も時間もお金も限られた中で、どの程度できるかということなのでしょう。

 ボランティアというのは始めるとかえって悩みがふえるものです。・動作が大変そうだから毎日でも伺いたい。・一人一人ともっとゆっくりお話したい。そして申し込んでおられない人にもっと大変な人がおられるのでは…と。いろいろ考えた末、私は今の私にできることをするだけだと思い至ります。元気な明るい顔で、声で、訪問すること。そのためには楽しくする、続けることが大切だと思います。幸い素敵なパートナーにめぐまれて続けられそうだナーと思う今日この頃なのです。


(千)
  わいわいランチ


昼回り

 私は昨年の春、東京から神戸に移って来ました。東京では山谷に行ってボランティアをしていました。そこで神戸に移っても何かしたいと思っていました。YWCAで夜回りがあることを知り、参加させていただいたのですが、家には年老いた者がいて、夜回りで帰りが遅くなるのを心配するので敢えなくダウン。しばらくガッカリしていたところ、9月になって職員の寺内さんから、野宿者の方達で入院している人がいるので、お見舞いに行かないか、…即ち昼回り…と誘われました。私はその時、”何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある”(コレヘトの言葉3:1)という聖書の御言葉を思い出しました。

 9月13日、野々村さんと二人で初めてN病院へ二人の方を訪ねました。お二人共O公園で野宿をしておられた方です。でも愚かにも私はN病院に行き、院内を見て、こんな病院に入院していたら反対に病気が重くなってしまうと言ってしまいました。(私は東京にいる時、ケアの素晴らしいキリスト教系のホテルのような病院に通院していたのです。)すると野々村さんは、そんな東京の病院はホームレスの人を受け入れてくれないでしょう。ホームレスの人でさえ入院できる病院と果たして、どちらがいい病院と言えるのか、と言われてしまい、考え込んでしまいました。

 それからは毎週月曜日の午後、寺内さん、野々村さんと私の三人で昼回りをすることになりました。N病院では、声をかけられてくる方が何人もいらっしゃった事は以外でした。相談内容は退院後の生活の事でした。Fさんもそのお一人で、退院後行き先がないので、心配で眠れないとおっしゃっていました。Fさんとは一緒に部屋を探しに行き、部屋を確保、区に申請し、生活保護が受けられるようになり、私たちもホッとしました。退院後一度だけお訪ねしましたが、その後、どうやって生活されているのか気になるところです。が、人と時間が足りなくて様子をお訪ねすることが出来ない状態です。また、Hさんは、転んで動けなくなり、4日間も公園で寝たきりなので、毎週月曜日更生センターで医療相談があるので、迎えに行きましたが、とても私たちの手におえないので救急車を呼びました。仲間の方達は「救急車を呼んでも来てくれへんで」と言っていましたが、YWCAの名前を出したので救急車は来てくれて、病院に行きました。私は付き添っていったのですが、4日間動けない状態だったので、すごい悪臭がしました。けれど救急隊の方達や病院の方達はイヤな顔一つせずにHさんを看てあげていらっしゃいました。私はとても感動しました。ここにも神様の愛があると思いました。Hさんは入院になり、見届けて帰宅したら8時を過ぎていました。私は主婦ですから、家族の夕飯の事も気になっていたのですが、Telで夫に事情を話すと、きちんとした理由がある時は遅くてもいい、それよりも中途半端にして帰ると、その方の事が気になるので、きちんと見届けてから帰る様にと言ってくれました。間接的に私のやっていることを支えてくれる夫に感謝しました。

 もっともっと昼回りに私の時間を費やしたいですが、自分自身の限界も知り、そして神様と家族を大切にした上でやらないといけないと思っています。昼回りは私の生きがいです。日野原重明博士は、”生き生きと生きるということは、自分のためだけに寿命を費やすのではなく、他人に与える喜びを知ることではないかと、それが生きがいになる”とおっしゃっています。

 これからも細く長くやっていく事が出来たらとねがっています。


(信)
  夜回り準備会


仮設居住者実態調査の会

××号棟××号室居住者          
ー「被災者生活再建調査の会」出立に寄せてー


 私が××号棟××号室居住者の件を聞いたのは、1月29日、東京から劇団おいおいが神戸にやってきてHAT神戸脇の浜で公演をする(神戸YWCA主催)からお手伝いをお願いしたいと依頼され、引き受けて案内ビラを片手に元王子仮設住民のところを回っていた時であった。

 前日に市の職員が訪ねてきて、明日、警察が来るからここを通してやってほしい。ベランダにある仕切りを破って隣室に入りたいと言うのである。予告通り警官2名がチャイムを鳴らして入ってきた。一夜、何となく落ち着けなかった気持ちの不安が的中した。遺体は腐乱が進み、かなりひどくなっているとのことであった。もっと詳しい情報を知りたいのだが、あれから市からも警察からも何も言ってきていない。

 何度電話を掛けてもいっこうに通じないことに不審を抱いた親が市の担当者に連絡した。居住者とは昨年末に掃除当番の時につれあいが顔を合わせていた。その時は風邪を引いて体調を崩しているとは言っていたが、さほど悪いとは思いもしなかった。生活サイクルが違い、特に行き来しているわけではないので見かけないからといって別段おかしいとは思わなかった。お隣でしょう。どすんと倒れたか、壁をどんどん叩いたはずなのにどうして気付かなかったのと責められるが、ここは仮設と違って隣室の物音は全く聞こえてこない。そうでしょう。まだ3日前のことだ。

 その後、××号棟××号室居住者は人工島にある仮設住宅から引っ越してきたこと、若年単身者の部類だから災害復興公営住宅第4次募集に当選して、前年の春に入居したであろうこと等が分かった。それにしても世の中が哀歓こもごもに震災5周年1月17日に沸騰していたまさにその日、彼はひっそり孤独死に横たわっていたのである。既に仮設ではなかったのでカウントされることなく、また、震災関連死の列に連なるということもなかった。県主催市主催、何とかかんとか主催の厳かな式典参加者の脳裡を一瞬でも、ちょっくらお騒がせして申し訳ないがのうと呟いて遠くへ旅立っていったのかどうか定かではないが、またしても復興ならずしてが一つ私たちの震災史に書き加えられたのである。

× × ×   × × ×


 経済復興、生活復興、それにもまして寂寥復興がいま緊要なのだということが私の持論であるのだが、さて、「仮設居住者実態調査の会」はひとまず閉じることにして「被災者生活復興調査の会」として再出発することにしました。この場を借りてお知らせします。

(孝)


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