「上筒井から」Vol.5(Nov. 1999)

<特別インタビュー> 秋月 香さん

被災生活の光と陰

ひょんなことから手に入れたチラシの見出しには「若年単身者集まれ」と書かれていた。仮設居住者実態調査の会でもずっと若年単身者の問題に取り組んでいたが、仮設住民で同じ問題にしかも個人で奮闘している人がいるとは!このチラシが秋月さんと出会うきっかけとなり、10月9日に神戸YWCAでインタビューさせていただきました。



<砂漠にできた「都会のオアシス」>

 神戸から遠くに住む人たちの多くは、被災体験を「かわいそう」という目でみるかもしれない。しかし私はこの5年間の光の部分についてまず話したい。

 震災前は、会社と家との往復だけ。今思えば、なんとつまらん人生やったと思う。震災前に住んでいた所にも自治会はあったが、興味がなかったというのか、積極的に関わろうとはしなかった。震災はこうした生き方を大きく変えた。震災直後から、見ず知らずの人が手を差し伸べ、助け合う中で多くの友達が出来たことだ。当初は、水くみ、まき割り、炊き出し、トイレ掃除など、誰に言われなくても、みんな率先してやった。半年間の避難所生活でもそうだった。みんな生きるために必死だった。

 避難所から仮設住宅に移ったとき「やっと横になるとことができた」とほんまうれしかった。「砂漠の収容所」と最初は言っていたが、半年間のざこ寝の避難所を思えばそれでも天国だった。しかし、3か月位たった頃だろうか、精神的に大きく落ち込んでいる自分に気がついた。避難所で友達になった人たちとは離れ離れ、知り合いは誰もおらず、話し相手もいない。会社と仮設との往復という生活でいらだっていた。

 仮設の自治会を関わり始めたのは、「寂しいから話せる友達作ろう」という理由から。発端は何もかっこいいものではないけど、結果的にはそれが人のためになっている。役を引き受け飛び回る中で何百人という友人に恵まれた。この人たちがいなかったら、この5年間はもたなかったと思う。人の世話をし、人の世話になった。仮設住宅からこの7月に出たが、仮設の時の友達とはその後も交流が続いている。お互い「全壊」同士、震災の辛さを体験し、共に自治会活動を担った人の「つながり」はまさに「都会の中のオアシス」のようなもの、今では親・兄弟以上の、何でも相談できる友達となっている。「助け合い」「友達」は何ものにも代え難い大きな「財産」となった。40数年の人生でこの5年は楽しかったし、忘れようとしても忘れられるものではない。


<若すぎる「孤独死」>

 仮設にいて、一番つらかったのは、「孤独死」の問題。約4年間でうちの仮設住宅で26人がなくなったが、このうちいわゆる「孤独死」は10人。男性8人、女性2名で、男性が圧倒的に多く、平均年齢は55歳。若すぎるし、その多くが酒と関連している。一番若い人が37歳の男性。彼は死後10か月近くも発見されなかった。内臓は虫に食われ、うじ虫は孵化して部屋を飛び回っていた。年齢が若かったこと、生活保護をやめて働こうとしていたことで行政も気づかなかった。彼らの多くは近所の人たちとの人間関係がつくれない。65歳以上の高齢者、生活保護世帯には市からの定期的な巡回があるが、若年層はその対象からはずれている。必ずしも孤独死が「お年寄り」の死ではなく、中高年の問題だとこのYさんの「事件」は教えてくれた。市が重い腰を上げる契機にもなった。

 自治会ではバザーや旅行などのイベント、体操などふれあいの場を積極的に提供してきた。しかしイベントや会合に集まるのは50−70代で、20−40代の人にはなかなか来てもらえない。若年層に参加してもらうことは困難なことだったが、自治会のいろんな努力の中で、もちろん孤独死直前に救ったケースも出てきた。

 自治会は楽しい事ばかりではなかった。昨年3月、ある「革新」政党がチンピラとぐるになり、「運営資金欲しさ」に自治会活動に介入、分裂させた。「ふれあいセンター」を「いがいみあいのセンター」にしたことは忘れることはできない。


<最後まで仮設に残った若年層>

 仮設住宅から復興住宅への転居が進む中で、50歳未満の若年単身者は高齢者とは異なる問題を抱えた。1998年1月以降、震災の特例措置がなくなり、若年者は公営住宅に応募できなくなった。若年者の中には月収5万程度の人、リストラで失業中の人などいても、年齢制限がかかり公営住宅に応募ができない。北区、西区、垂水区などの遠隔地の空家の斡旋されても、仕事や病院の関係で受けられない人が続出した。

 その一方で仮設を出るように市からのプレッシャーはすさまじかった。若年単身者はポートアイランド第5.6.7仮設に集中した。ここだけで県内の対象者の1/3以上いた。仮設に残るのは高齢者とは限らなかった。行政も若年単身者が仮設の取り残されるのはわかっていたが、優先順位があって先延ばしにしていたのだと思う。

 私自身が対象者でもあり、他人事ではなかった。対象者に集まってもらい、問題提起もした。他の市民団体も、マスコミのこの問題を大きく取り上げてくれたこともあり、最後の最後になって、若年単身者(政令月収20万未満の人に限るが)にも公営住宅の斡旋を提示、対象者もこれを受け入れていった。しかし、このときすでに仮設住宅はゴーストタウンと化していた。

 今思えば、公営住宅応募の条件解除という特別措置の期限を3年以上に延長するとか、公営住宅法改正の方向が考えられてもよかったのではないかと思う。若年単身者が直面する問題は、失業者が増えている現在、全国的な問題であり、被災地だけのものではない。


(インタビュー:片山、構成:黒木、 ※秋月さんご本人に加筆訂正をしていただきました。)



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