「上筒井から」Vol.4(Aug. 1999)

被災地神戸の現状


 「仮設期限」の3月31日が過ぎた。6月末までは移行措置として仮設居住を認めるとは行政の弁。4月以降の2カ月、仮設住宅では…。7月以降はどうなるのか。


市街地のある仮設で

「もう気が変になりそうや。私は何も悪いことしてへんのに、なんでこんな目に遭わなあかんの…。」

 当初は、150世帯近くが生活していた市街地のH仮設で、5月末現在生活しているのは、9世帯。この仮設で住宅のメドがないのは、Aさん1世帯だけとなった。Aさんは一人暮らしの60代の女性である。

 Aさんは公営住宅募集のたびに応募したが、落選し続けた。昨年9月に決まった公営住宅個別斡旋の斡旋順位は後ろから数えたほうが早い。1月の個別斡旋では、行政から提示された住宅とAさんの希望があわず、あっせん会場の区役所から泣きながら仮設に帰った。その後、何度かあっせんを受けたが、うまくいかない。2回目、3回目と回を重ねるごとにあっせんされる住宅の数は減り、デガラシのようになってしまった。5月、大規模な復興住宅が完成し、仮設は引っ越しラッシュだった。あの人もこの人も引っ越していくなかで、あせりがつのる。

 梅雨入りして間もない先日、あっせんを受けている住宅をAさんと車で見に行った。帰り、子どもの頃から震災に遭うまでずっと住んでいたという地域を通った。神戸の繁華街に程近い。「この空気、おいしいわあ」と突然Aさんが言う。「でも、この辺は空気悪いよ」、と私。「私にとってはおいしいねん。」「銀行はそこの銀行に決めとうねん。今でもバスにのってここまで来るよ。買い物はそこのスーパーや。店の人もみんな知っとうで。私が行ったら声をかけてくれるねん。美容院もこの辺や。週に1回は行ってたよ。」「ここのビルは震災後上の階をつぎたしたね、あそこは震災でつぶれたんよ…」、話が止まらない。「ここでコーヒー飲んでいこう」と誘われて入ったのは老舗の珈琲店だ。「この店は変わらへんね…。」「お金があったら、もっと若かったら、マンション買うのに。この辺に住みたいなあ。」と、Aさんはため息をつく。この近所には公営住宅がない。「若かったらね、どこへ行こう、ここへ行こう、って考えられるけどね、年とってきたら、馴染んだとこで生活することだけが楽しみなんよ」。コーヒーを飲むAさんの顔を見ながら、若い頃はさぞかし洒落てて、粋な神戸っ子だったろうと想像した。

 あっせんされた住宅は、坂の上にあり、足の悪いAさんが生活するのは無理だと即座に思ったが、それだけではない理由がAさんにはあったのだと後でわかった。Aさんにとって大切なもの、が見えてきた。「仮設の人は甘えとう」と、仮設住民に対するプレッシャーがきつくなっている。仮設は仮住まいであるが、次に引っ越す先はAさんのような人にとっては、終の住処となるところだ。仮設を出るのはゴールではなく、再スタートだ。これからの人生を生きていくための住宅をしっかりと選んでほしい、と思う。


人工島のある仮設で

 「仮設の輸出先の方が、住民の転居先よりも先に決まっているかと思うと、心細くなってあわてて住宅を決めてきた」(99.1 聞き取りで)
 「男は泣いたらあかん、と育てられたが、朝からいきなりガンガンとやられた時は、情けなくて、悔しくて涙が出た。」(99.5 住民と行政との話し合いで)

 「仮設住宅、海外で再利用」という記事がいつだったか新聞に載っていた。仮設が大量のゴミにならなくてよかった、とか、国際協力に役だった、とか思った方もあるだろう。六甲アイランド第6仮設の住人も、まさか自分の仮設が海外に贈られるために、人がまだ住んでいる状態で空き棟を撤去されるなど思わなかっただろう。

 六甲アイランド第6仮設各戸のポストに「空き棟撤去のお知らせ」が入れられたのは1月の個別斡旋の直前だった。寝耳に水とはまさにこのことを言うのだろう。「空き棟撤去」理由は、「防火・防犯のため」とのこと。びっくりした住民からの訴えで仮設居住者実態調査の会が事実確認したところ、六甲アイランド第6仮設で、放火や不法侵入などの事実はないということがわかった。「まだ人が住んでいるのに、どうして今撤去なのか、どうして六甲アイランド第6仮設なのか」と住民にすれば納得のいかないことばかりだ。2月8日には、「空き棟撤去中止の要望書」を住民29名分の署名を集めて、神戸市生活再建本部に提出した。

 2月12日、行政による説明会が開かれたが、撤去工事を前提とした説明に抗議の声が続出し、行政は「持ち帰って検討する」と言って、実質流会となった。その結果、予定の2月から3月にかけての工事を行うことはできなくなった。仮設居住者実態調査の会は「空き棟撤去は住民を集めて意見を聞いてからにしてほしい」と何度も訴えてきたが、行政は「おおむねの合意があれば、工事を実施する。ひとりでも反対者があれば工事しない、ということではない」と答えるのみで、その後仮設住民に対する説明会は一切開かれなかった。3月下旬になって、行政は個別訪問で住民の説得に回った。「『皆さんご了解くださっています』と言われ、いやと言えなかった」とか、「私は反対した」、という声もある。昼間留守のところには、ポストに「空き棟撤去のお知らせ」と工事日程が入っていただけだという。どこで、住民の合意を得たというのだろう。

 4月21日、「4月22日より工事を開始する」というお知らせのチラシが各戸に配付された。4月27日、緊急住民集会が開かれた。昼に決まって夜集会、という本当に急なことであったが、住民の半数以上が参加し、空き棟撤去工事の問題について話し合った。その結果を16項目の要望書にまとめ、行政に提出した。住民の本当の願いは、全員が仮設を出るまでは撤去などせずに、そっとしてほしい、ということ。妥協に妥協を重ねて、最低限の生活が守られるように工事をしてほしいという要望だ。

 再三の催促にも拘わらず、要望書に対する回答がないまま工事が進められた。工事が始まってみれば、様々な問題が起こった。朝は7時から工事が始まり、音がうるさくて眠りを妨げられる。粉塵がでる。空き棟の鍵をあけたまま工事関係者が帰ってしまう、木箱があちこちに散乱したまま、たばこの吸いがら・コーヒーの空き缶の投げ捨て、クーラーの室外機のパイプが切られる、植木鉢が盗まれる、知らない人が通り道にする、解体された仮設が通行の妨げになる、等々、数え上げればきりがない。

 ついに住民側から回答日を指定して、行政の出席を要請し、やっと5月20日の話し合いが実現した。 朝8時までは工事をしないでほしい、防音・防塵シートを張ってほしい、コンテナへの積み込みは仮設外でしてほしい、工事車両もディーゼルではなくバッテリーのものにすれば、少しは静かになるだろう、アイドリングをストップしてほしい、夜間巡回を増やしてほしい等々住民からささやかな要望や提案が出された。人目にさらされたくない、周囲がなくなると不安だという気持ちからでた、「今住んでいる棟の周囲の棟は撤去しないでほしい」というささやかな住民の要望はまったく無視されていた。「計画の変更を」という要望にたいして、行政は、「計画の変更はできない。相手のあることだから。仮設は県から管理を委託されている。撤去費用は国からでる。神戸市が申請したことを今さら取り下げられない」という。何を聞いても「できません」「確約はできません」という答えしか返ってこないのに対して、「あんた何しに来たんや」という怒りの声がでた。すべてはもう発注してしまって、時すでに遅しであった。なぜ事前に住民と話し合いをしなかったのか。それよりも2月の説明会で、「希望があれば居住している周囲の仮設は撤去しない」と言ったのはどうなったのか、署名に対する回答は、と考えると、住民を無視し続け、計画を一方的に推進した行政の不誠実な態度に怒りを覚える。同じことがいっぱいある。神戸空港がそうだ。

 仮設の土地は神戸市港湾局の持ち物で、後の計画があるという。行政は「管轄が違うので知らない」と言った。住民は「湾岸道路の橋桁になるときいた」。うわさが本当かはわからないが、住民に情報公開されないまま様々なことが進められていくのが神戸市だ。「人が住んでいる、という意識がないんとちがうか」と住民が言った。神戸市を人の住む街にするのは長い道のりだ。

(真)


このページのトップ

Vol.4 もくじへ   最新号もくじへ   トップページへ