「上筒井から」Vol.12(March 2002)

夜回り準備会


 夜回り活動に参加して半年が過ぎた。それまでにも炊き出しや日中に路上生活されている方々にお会いして話をするといったことはあったが、真っ暗な中を訪問していくというのは初めての経験で、今までとは違ったお話も聞かせていただくことが出来ている。その中から感じることも多々有り、今回はその内のいくつかを紹介させて頂くこととしたい。

<イベントのための立ち退き要請!?>

 「ここ立ち退かなあかんねん」  港に近い某公園でストーブにあたりながらAさんが言った。イベントがある為荷物等も含め撤去せねばならないという。
 行き先について話があったのか、という私たちの質問に「ないない。下(南)のほうに行け言うたけど、これ以上下がったら海に落ちてまうやんか」
 おっしゃるとおりである。そもそも何故せいぜい数日のイベントの為に居場所を奪われなければならないのか。日中はともかく夜通しドンチャン騒ぎでもやろうというのか。むちゃくちゃな話である。

 1月に関東で少年たちが路上生活をされていた方を襲撃し死に至らしめた事件があった。そのとき学校の校長だか教頭だかが言ったせりふに「自分の学校は養護学級も併設しており人権教育はしっかりされていると考えていた」といったものがあった。「養護学級併設=人権教育の充実」というおめでたい発想に十分ため息をつかせて頂いたが、たかだか数日のイベントの為に居場所を奪う大人たちはどうなのだろうか。

 易々と人の居住権を奪って平然としている大人たちのなかで成長していく子どもたち、そこで繰り広げられるコミュニティのイベントを思うと哀しくなる。大人たちが路上生活される方たちを見る目から子どもたちは自分と彼らの関係を学習していく。神戸にも関東の事件と同様のことが起こる素地は十二分にあると言えはしないか。

<体もきついが、何より寂しい>

 年末にはじめてお会いしたときには路上に出て間もなくで顔色も良かったのに、お会いするたびにやつれ白髪が増えていくBさん。「何とか仕事を探して…」と気持ちは焦るものの見つからず所持品を売却して生活されている。
 「この生活で何よりつらいのはとにかく寂しいこと。別れた妻のことばかり思い出して、知らず知らずの内に一緒に過ごした場所の周りを自転車でぐるぐる走ってしまう」、「娘にも孫にも会いたいがこの姿では…」と涙ぐまれながら話される姿が忘れられない。

 「まさか自分が路上で生活することになるなんて」という思いはほかの方からも伺った。誰にでも起こりうる状況にもかかわらず、日ごろ私を含め多くの人はどこか自分には関係のない話だと思ってしまってはいないだろうか。
 とつとつとお話してくださる彼らのお話を聞かせていただくたびにそんな自分の中の傲慢さと向きあわさせられる。

<生きていくのは大変だなぁ>

 雨が降ると増水する川のはたにベッドを置き、増水したら荷物をたたんで移動されているCさん。震災で住居が全壊したこと、定年退職後仕事がなくて路上に出たときのこと等を穏やな口調でお話してくださり、最後にぽつりとおっしゃったのが「生きていくのは大変だなぁ」だった。……薄っぺらな相槌など打てるわけも無かった。

 こうやってお出会いする方々からまだまだ書ききれないぐらい多くのことを学ばされ、気づかせて頂いている。……そしてこれからも。(YM)



★夜回り準備会★
夜回り:毎月第2・4土曜 18:30から(灘区,東灘区)
病院訪問(昼回り):原則として毎週月曜日13:30〜
ミーティング:毎月第3土曜 19:00〜21:00
☆メンバー募集中



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