448人の証言
穏やかな暮らしを突然おそった大地震は神戸の街を焼き尽くし、大勢の人の命が失われました。私の住んでいた裏の家はペシャンコに潰れ、地面に屋根だけがあると言った感じでした。その家は3人で暮らしていたはずなので、朝10時頃近所の人たちと声をかけたところ返事がありました。まだ生きてる。「ガンバレもうすぐ助けに行くから」と励ましていましたが、道具を持たない私たちではどうすることも出来ず、レスキュー隊を待つしかありませんでした。レスキュー隊が来たのは午後3時。3人は遺体で運び出されました。
王子陸上競技場に救援のヘリコプターが到着したのが午後4時をまわってから。災害時の対応の悪さ、何のための行政なのか、今でも納得できていません。
N区民ホールで避難生活を送り、第5次仮設住宅募集でO仮設住宅が当たり、その年の7月31日に移りました。
O仮設住民として「仮設居住者実態調査の会」は、私にとっては大きな支えでした。他の仮設住民と交流を深めながら悩み事を言い合い、問題を提起し、行政と交渉も出来ました。その中で一番の問題はやはり住宅の問題でした。仮設に居る人たちのほとんどが帰る家のない人たちです。復興住宅の募集が始まり、応募しても当たらない。一方では、西区、北区は募集割れで空き家が続く、そのうち市街地での募集が無くなり、仕方なく遠方へ移った人も多く残念に思います。震災までそこに居た、そこが生活基盤であったはず。多くの人は元の街に戻りたいはずである。住みたい住宅に当たるまで、あるいは完成するまで、被災者を仮設から追い立てる権利は誰にもないはずである。(豊)
(記録集「<仮設居住者実態調査の会>伝説」より引用)