意地悪な街・ひとりごと



僕の写真には人が写っていません。

人が写っているほうがリアルだと思う人もあるでしょうが、写らないのです。
なぜならここに写したモノは、人を拒んでいるからです。

本当はモノが拒んでいるのではなく、これを作った人が拒ませているのです。


大きな都会では、
注意深ければ、市役所や病院の待合室、図書館、大きなデパートのベンチなどでまどろんでいる人を見かけることができます。
壁には「ここで寝てはいけません」といった掲示があるかもしれません。

そんな人達は邪魔だし、不愉快だと思う人もいるでしょう。

でも、なぜこのような場所で人に嫌がられながら寝なければならないか考える人はあまりいません。


僕は時々思うのですが、
小石だって存在するためにはいくらかの空間が必要なのです。
人間にも、いくらかの居場所が必要なのです。

安心して、あるいは、
冬には凍えないで休める場所がなければ人は生きられないのではないでしょうか?

道端やベンチで寝ている人達だって、すき好んでそこに居たいわけではないのです。

他に場所がないから、そこにいるだけです。




そんな人達の”最後の居場所”を、
今の都会は無くそう、無くそうとしているように思えます。

ベンチには、横になれないようにちょっと気取った仕切りをつけています。

かろうじて雨を凌げるような歩道橋の階段下の空間は、金網で入れないように囲われています。


歩道橋の下で見つけた、カラフルな半球形の突起の声がきこえませんか?
こんな声が僕にはきこえるのです。

「ここには場所はあるけれど、おまえ達には使わせてやらないよ」

ただ通り過ぎる人には聞こえないのかも知れませんが・・・


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