野宿せざるを得ない人が直面する問題は様々です。仕事や住居を確保することの困難。「飢え」、「寒さ」、人々の「冷たい眼差し」、怠け者とか自由人と言った「誤解」、「追い立て」生活用品の「撤去」。野宿を生活を抜け出すことの難しい現実。・・・・・
問題の一つに、「襲撃」があります。
野宿している人が襲撃される事件はずっと繰り返されてきました。1983年の当時は「横浜『浮浪者(註)』殺傷事件」と呼ばれた事件。95年の「道頓堀事件」、「東京北区の傷害致死事件」、96年の「渋谷公園事件」。死に至らない事件は全国各地でこの他幾度と泣く続けられてきました。
「神戸の冬を支える会」は1997年3月10日から1998年3月28日までの約1年の間に43回の襲撃を記録していますが、これは氷山の一角に過ぎません。襲撃の内容は《突然殴る。石、煉瓦、ゴミ袋、ビン、自転車、カラーコーン、等を投げ付けたり、高所から投げ落とす。エアガンで撃つ。テントに放火。花火を浴びせる。寝ているところを蹴って逃げる。空き缶に入れたガソリンに火をつけて投げ付ける。「乞食」「片付けろ」等と罵る。足の悪い人にものを投げ付け、抗議すると、こっちに来いと挑発しながら逃げ、追いかけられないで戻ろうとすると後ろから蹴る》等々です。
97年春、寝屋川市の淀川河川敷で野宿している人(63歳)を、14人の中学生がエアーガンで打ちまくったと言う事件がありました。支える会は神戸市教育委員会に、神戸でも同様の事件が多発しているから対策を講じるよう申入れました。市は《エアーガンを買わないよう指導している》と答え、その直後に、須磨の事件がありました。襲撃は続き、休みには特に増えるので、夏休み前に、再度教育委員会と話し合いました。
教育委員会は、心の教育、人権教育をし、命の大切さを教え、いたずらしないよう指導している等と言うのですが、なぜこのようなことが起こるかを考えているようには見えません。指導する教育委員会自身が、野宿している人、その状況を理解していなければ、あるいは野宿している人に対する差別、誤解、無理解をもっておれば、正しい指導はできません。
野宿している人や支援している人と話し合ったり、学習会をもったりできないかと提案しましたが、受け入れられませんでした。幾度も襲撃され「もう我慢仕切れない。今度来たら、やったる。」「痛い目に会わんと分からない」とゴルフのクラブを護身用に用意している人もいるので、僕は教育委員会に「いつまでも黙ってやられているとは限らない。我慢の限界が来たら、今度は生徒が傷つけられることになる。そうならない為に考えよう」と訴えたことを覚えています。
今年6月13日に、本当に残念なことに予感していたことが起こってしまいました。西宮市高須町の住都公団武庫川団地で一人の若者(18歳鳶職)が亡くなり、一人がケガをするという事件が起こったのです。長期間いたずら(嫌がらせ、襲撃)を受けてきた人が、繰り返してきた若者達をこらしめようとした結果でした。報道にも色々間違いがあるようなので、細かな事実関係はまだ書(け)きません。これから裁判の中で明らかにされるでしょう。
殺人罪で起訴された田中末光さんは、武庫川団地のそばの鳴尾浜の堤防の下にテント小屋を建て、近隣の人に迷惑をかける事なく生活して居ました。田中さんは、今年4月頃中田健一さんに「寝る所がなければ、自分の小屋に来てもいい」と声をかけ、同居して来ました。中田さんは最近仕事を失い、会社の寮を出ざるをえなくなり、野宿生活を始めばかりでした。中田さんも逮捕され、銃刀法違反で有罪になりました。
若者達(複数のグループとも云われて居ます)が襲撃を繰り返してきたこと。最近どんどんエスカレートしてきたので、こらしめ、やめさせようとした結果、死傷者が出、野宿していた人が逮捕され、裁かれることになったわけです。どちらにとっても悲惨な事でした。襲撃がなければ起こらなかった事件です。
私たちはこの事件を単独の出来事と考えるべきではないと思います。これまで、野宿している人が幾人も幾人も殺されてきました。その流れの中で、起こってしまったのです。どうすれば再発を防ぐことができるのでしょうか。
僕自身は、若者が安易に襲撃する意識〜軽い気持ちでやったと、襲撃とさえ思わない意識〜の背後に、社会が野宿している人の人権、生存権、存在を認めていない現実があると思っています。そこにいるのが悪いと追い立て、生活用品を撤去しているのは、行政や警察や周辺住民です。震災の救援や復興住宅プランから排除しているのはだれでしょうか?野宿をしたくないと福祉事務所に相談に行っても、住所がなければ駄目と追い返し、野宿生活を抜け出しにくくしている福祉の在り方は、何なのでしょうか?
ある人が「今度(襲撃に)来たらやったる」というので「怪我させたらあかん。あなたも傷害罪になる」とたしなめると、「あんたが言うから、やられとく。わしが怪我したらええんやな?」と言われ、絶句したことがあります。やられろとも、やっつけろとも言えません。 襲撃を無くす以外に、答えはないと思います。
神戸や、釜ヶ崎で野宿者支援、炊き出し等をしている人、いじめ問題にかかわる人等、有志が呼びかけ、8月11日に「『6・13西宮事件』を考える会」の発足集会をもちました。
8月16日には中田さんの裁判があり、14人が傍聴しました。
9月13日には、事件のあった場所に近い鳴尾の公民館で「6・13西宮事件」を考える第1回西宮集会を開催します。弁護士さんの話を聞いて事件の内容を理解し、背景や問題を話し合い、考えあいたいと思っています。
9月16日には、田中さんの最初の公判があります。詳しくは同封のニュースをご覧下さい。野宿問題に関心のある人だけでなく、教育や若者の成長に関心のある人、人権に関心のある人が参加し、再発を防止するために、何をすればよいか考えられたらと思っています。皆さんもご参加ください。会員を募っています。裁判費用などカンパもよろしく。
註: 最近は野宿している人をホームレスと言います。ホームレスと云うのは「今、住むところがない」という状態にある人を指す言葉」です。天災の被災者、戦争による難民、倒産やリストラ、原因はさまざまです。しかし、日本では、どこか自分たちとは違う特別な種類の人間を指す言葉のように使われます。それは多分、以前は「浮浪者」と呼んでいた意識のせいでしょう。口でホームレスと云っているとき、心には「浮浪者」が浮かんでいるのです。
(1998年11月・野)