「上筒井から」Vol.7(Nov. 2000)

普通の人なのに


 「運転できますか?」

 えっ?やっぱり。ここにきて、いまごろになって。たそがれ成兵衛、こころの中でのけぞる。

 免許、ケイタイ、パソコンは現代三種の神器。そのことはじゅうぶん承知だが、クルマ持たないゴルフやらないをずっと戒律みたいにしてきたのに。排気ガスを撒き散らす。緑をボロボロにすると固く信じて疑わぬ。偏狭のそしりは覚悟のうえとて。車中ケイタイの傍若無人ぶりはつとに珍しくもなく。インターネットに接続できて、日本経済復興のカギさえにぎる存在と、巷間伝えるものの、老眼には画面はあまりにも小さすぎる。あのこんまいボタンを指で操作するのは、余程器用でないとむつかしい。
 なのに、「夜回り」では、免許・ケイタイ持たぬは役立たずのしるしなりとは。

 そうと知ってたら、夜回りに手を挙げたりはしなかった。そんないい加減な動機だったのかといわれたらゴメンなさいというしか。ほんとのことだから仕方ない。

 不快と顔をしかめるかたもおられるやもしれぬが、活動とボランティアは違うというのが私めの理解。後者の意識で参加しようと思ったのだから、腰がひけてると責められるかも。
 両者はどこが異なるかといえば、私の場合はどこまでも自分のための行為。贖罪意識みたいなものがないとはいい切れないが、それだけでもない。いずれにしても、それほどたいしたことをしようとしてるのではないのは確かなんですが。
 それでも、のっけからのショックにもめげず、免許・ケイタイなしで、どうにかこうにか最後尾で回らしてもらう。

 以来十数カ月。あきれるほど進歩も発展もしてない。努力以前の周辺で立ち往生。いまだに。
 それにしても、野宿しているひとたちが、あまりにも「普通のひと」なのに驚き。なんでやねん。ちょっとは突っ掛かってきたり、こちらを冷然と無視する人がいないのか。

 総じて優しい人たち。対する市民の排除の思想のむごさ。行政の効率の論理のつめたさ。まともな人間なら一度くらいは、この人生からdropoutしたいと切に願ったことがあるはずと思うのだが。
 なにかのはずみで家を失ってしまう。そんな可能性は誰にでもあるのでは。

 しかし、思いこみの予想が外れたことは、むしろ嬉しい。これまでと同じbehaviorでいいのだから。はずかしがり屋のAさん。お洒落なYさん。博識のSさん。何でも器用につくってしまうKさん。
 一瞬でしかないふれあいのなかに覗くさまざまな人間性。もう少し踏み込みたいなぁと思うも、まだ私には許されないだろう。

 病床にあるYさん。治癒はむつかしいと。あの人懐っこいどんぐり眼を見れなくなって久しい。

(2000年11月・義)


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