配布チラシ

名づける


 いつもは出来るだけ具体的なことを紹介したいと思っているのですが、今日はちょっと違う風に書いてみたいと思います。

 それは「名づける」と言うか「呼ぶ」という事についてです。以前は学校の先生や親が子供を殴ったりすることは、しつけや教育という事に包み込まれて特に問題ではありませんでした。しかし、「体罰」とか「虐待」という言葉で批判されるようになると、許されないこと、容認されないこととして、共通に認識されるようになってきました。男女間の暴力、DVもそうです。

 で、夜回りに関しても、同じようなことがあります。僕が1984年に横浜で「木曜パトロール」を始めた頃までは、夜、公園等で寝ている人は「浮浪者」と呼ばれていました。1983年に、十数人の中学生が面白がって、山下公園他で寝ている3人の日雇労働者を殺し、20人ほどに怪我をさせた事件を、新聞は「横浜浮浪者連続殺傷事件」という大見出しで報じました。家の外で寝ている人を「浮浪者」と呼んだわけです。
 日雇労働者の組合は、自分達は仕事が途切れて収入がなくなると、宿泊料を払えなくなって野宿するしかない、その時に「浮浪者」として扱われるのは差別的だと感じて批判しました。「浮浪者」でなく、失業した労働者なのだ、と主張したわけです。

 日雇労働者の平均年齢が高くなり、働けない(病気、障害、高齢)人が増えるとともに、全国的に支援運動が増えてきました。特に「バブル期」の後、事態が深刻になるにつれて運動も広がってきました。その中で、自分達の運動をどう呼ぶか、言いかえると野宿している人をなんと呼ぶか、戸惑いがありました。マスコミも同様でした。

 幾つかの例をあげると、「野宿労働者の人権を守る...の会」「野宿者人権資料センター」「...野宿生活者の・・を守る会」「・・野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議」「日雇労働者の人権と労働を考える会」等々、「浮浪者」ではない呼び名を模索して来たように思われます。野宿者、野宿労働者、野宿生活者等はその苦心の表れなのです。

 マスコミは、「浮浪者」の代わりに、しばらく「ホームレス」と言う言葉を使ってきました。しかしホームレスという言葉は日本語でないので、そこにこめられた感情は日本人にはよくわかりません。マスコミは、差別的な言葉は使っていませんという言い逃れに「ホームレス」と書いたのです。浮浪者よりスマートに聞こえる,しかし,意識の中では浮浪者の言い換えに過ぎないというのが実情だったようです。受け取る人もそうだった。どことなく怪しい、普通でない、...。夜回りにはじめて参加した方に、夜回りをして見てどんな感想でしたかと聞くと、ほとんど必ず、「普通の人でした」と言う答えが返ってきます。つまり、夜回りでであって、話をして見るまでは「普通の人」ではないと思っていたわけです。

 僕も自分が障害者になった日に、「昨日までの自分と同じ自分なんだ」と思うと同時に、自分が障害者を同じ人だと思っていなかったことに気づかされたことがあるので、責めているのではありません。知らないときには、なんとなく先入観なり偏見なりを持ってしまっている。ホームレスという言葉は、やはり「特別な人」という響きを担っているように思います。しかし、最近はマスコミも「野宿者」を使うことが増えてきたようです。多分、支援グループの多くが野宿者という言葉を用いているからでしょう。

 けれども、僕には、この言葉にも引っかかるものがあります。「〜者」という言い方が気になるのです。Aさんは「障害者」だと言うと、Aさん全体が「障害」という色で染められてしまうように感じるのです。「野宿者」と言うと、「野宿」と言う色に染まってしまう。けれども、仕事をしているときには仕事をしている人。図書館で読書しているときは,本を読む人。魚を釣っているときは魚釣名人。貴金属の目利きの出来る人。骨董のわかる人。「野宿者」と言ってしまうと、みんな「野宿」に覆われてしまう。

 本当は僕にとっては、AさんだったりBさんだったりするわけです。そのAさんが、野宿せざるを得なくて、仕事にも就けなくて、体を壊して、食べるものも得られなくて、困っているのが、切ないのです。

(耀)


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